2021浦添市長選挙を終えて



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 本稿は、浦添西海岸への軍港移設に反対し、2021年浦添市長選挙で伊礼悠記氏を応援した一市民の、選挙活動を通しての私的な記録と分析です。関係者等に対する綿密な取材にもとづくものではないため、事実誤認や分析ミスもあるかもしれません。お気づきの点があれば、何なりとご指摘、ご批判等いただければ幸いです。

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  2021年浦添市長選挙は、現職の松本哲治氏が、私たちが応援する伊礼悠記氏に10.000票以上の差を付けて再選されるという、私からすれば予想外の大敗に終わってしまった。

 選挙戦途中で選対本部から伝えられる情報では、「まだまだ追いついていない」「あと1週間あれば追いつけ追い越せるのに、残り3日間でそれをやらなければならない(3日攻防突入時)」「最終土曜日(6日)で追いつき、当日(7日)で逆転だ」「あと3000票」などという檄が飛ばされた。


 市長として8年務め、市長選と同日に実施される市議会議員選挙の候補者19人(定数27)とセット戦術を組み、知名度で圧倒する現職に対して、昨年末に立候補表明したばかりの伊礼悠記氏は、市議選2回をトップ当選した人気を誇るとはいえ、知名度も劣っていれば、準備期間もわずか。しかも、相手側は、菅首相が秘書官を送りこんだのをはじめ、宮崎政久衆院議員や自民党県議が応援するなど、政権をあげたバックアップを受けている。はじめから劣勢は明らかだったが、私たちには勝利できるという希望というか確信があった。


楽勝できるはずの選挙

 私たちが伊礼悠記が勝てると期待した理由は、次のようなものである。


 まずは、何と言っても「浦添軍港」問題。浦添市民の7割以上が反対し、松本氏自身でさえ「私も本当は反対だ」と公言している。この浦添市民の多くが反対する軍港に、明確に反対を公約にかかげたのが伊礼氏である。軍港問題が最大の争点になれば、容認の松本氏を認めるはずはない。しかも、松本氏は、8年前の選挙では反対だったのに、容認に転じた裏切り者、公約破りの嘘つきである。4年前は規模縮小など条件付き容認で再選されているものの、浦添市民の願いは軍港反対にあり、軍港問題でYESかNOを選ぶとなれば、断然NOを選ぶと確信していた。


 つぎに松本氏のブレブレの豹変ぶりに、そろそろ不満を抱いている市民も多いのではと推測された。8年前は、政党の支援を受けない、「本家本元 市民党」で当選しながら、すぐに自民党、公明党政権にすり寄って行き、完全に体制側に飲み込まれてしまった軽さ。軍港問題の公約破りとともに、松本氏の芯のなさ、お調子者ぶりには、市民も飽き飽きしていると期待された。


 3点目に、2期8年、長期政権にありがちな、さまざまな癒着、利権に対する、怒りや恨みがあると聞かれ、松本の「お友だち」から漏れた業者の離反も期待された。


 4点目として、菅政権の人気低迷を受けた「追い風」があった。あれほど数々の疑惑や不祥事にまみれながら、それでも一定の人気を誇っていた安倍政権と違い、菅政権は、発足当初こそ7割という驚異的で信じられない支持率を叩き出したが、その後のコロナ対策のまずさや、まともに記者会見もできない無能さが露呈して、支持率は一気に低迷。1月の宮古島市長選挙をはじめ、鹿児島県西之表市長選挙、北九州市議会選挙、東京都千代田区長選挙と、負けが続き、この風が浦添にも吹くことが期待された。選挙直前に次々と明るみに出た、自民党や公明党議員、石垣市長の「コロナ禍の夜遊び」が国民的不評を買っていることも、自民党、公明党支援の現職に対する攻撃材料となった。


 そして最後に、何と言っても伊礼氏の類まれなる政治家としての素質である。女性であることと、38歳という若さであることは、まだまだ男性高齢者が支配する日本や沖縄の政治風土にあって、これからの新しい時代の政治を感じさせた。加えて、伊礼氏は、自民党政治が立てる単なるお飾り的なタレント議員とは違い、2期8年間の市議時代をとおして政治家としての優れた実績を残している。しかも、トークも明確で上手い。さらには、自民党に多く見られるような「政治家になるために」政治家になった人物ではなく、「命を救いたい」「社会をよくしたい」がために政治家になった人物、名誉や欲とは無縁な人物である。


 これらの条件から、知名度や準備期間、組織や資金面で圧倒的に不利であるにもかかわらず、前回の市長選での8500票差は、十分ひっくり返せると思われた。私個人的には、街宣中の市民の反応の良さ、軍港に対する拒絶感に接し、相当差を付けての勝利も可能なのではとさえ夢を見た。





2つの市長選挙 対照的な宮古島と浦添

 約半月前に行われた宮古島市長選挙における「オール沖縄」の勝利は、浦添市長選挙に対して大いに励みになった。しかし、この2つの選挙は、「成り立ち」に大きな違いがあった。


 宮古島と浦添は、それぞれ「基地問題」を抱えている。宮古島は陸上自衛隊基地建設問題、浦添は軍港問題である。


 宮古島市長選挙は、はじめからオール沖縄の党派主導で候補者選びが進んだ。昨年の県議選の結果などから、票読みで勝てる候補、現職を落とす「市政刷新」が最優先され、元自民党県議で、先の県議選で下地敏彦派と対立した保守分裂により破れた座喜味一幸氏と「オール沖縄」側が組むことで、選挙戦にのぞむことになった。


 長年、陸自基地反対で活動してきた市民の意見は聞き入れられず、座喜味氏は、もともと陸自基地容認(というより推進)であったため、選挙戦中も「基地問題」は「タブー視」され、触れられることはなかった。市長候補の座喜味氏だけではなく、同日行われた市議会議員補欠選挙の候補者も、基地問題をほとんど前面には出さずに選挙戦を戦った。 


 選挙は、票読みどおりに、座喜味氏は現職の下地氏を破り、市議補選では保良弾薬庫反対運動で活動する下地茜氏が1万票を得て当選した。オール沖縄の大勝利だったわけだが、結果として「陸自基地容認」にお墨付きを与えることになってしまった。下地茜の1万票が「反陸自基地」票だと見る意見もあるが、公約として明らかに選挙を戦ったのではない以上、あくまで「隠れ反陸自基地」票にすぎない。


 また、彼女の場合は、4年前の宮古島市長選挙でオール沖縄側を分裂させ、敗北に導いた前県議の勢力下にあり、現在も選挙があるたびに混乱を持ち込み、反基地運動を分断してきた勢力のひとりである。基地容認の市長と、反基地運動を分断してきた市議の誕生は、宮古島の反基地運動の行方に暗い影を落としている。


 一方、浦添市長選挙は、市民の動きの方が早かった。昨年8月18日に松本市長が、自らが主張してきた「南側案」を取り下げて、沖縄県や那覇市が主張する「北側案」を受け入れ、「浦添軍港問題」が動き出してから、危機感を持った市民が「浦添西海岸の未来を考える会」を結成。同様に浦添軍港建設に危機感を抱く「水の安全を求めるママの会」など20近い市民団体や個人が、伊礼氏に市長選出馬を要請。いっぽうで、共産、社民、社大のオール沖縄系3党は、伊礼氏擁立を進めていたが、共産党籍を残すか否かで調整が難航。結局、党籍離脱、無所属での立候補表明に至る。ここに、3党と市民団体による伊礼悠記候補が誕生した。


 しかし、この時点で、「オール沖縄」候補であるとの表明はなく、デニー知事の協力や応援については決まっていなかった。翁長健志前知事を継承するデニー知事は、城間那覇市長とともに、那覇軍港の浦添移設推進の立場であると一般には認識されており、軍港反対を公約に掲げる伊礼氏応援は不可能だとも思われていた。私が所属する「浦添島ぐるみ」も、軍港容認のメンバーもいる中で、島ぐるみとしては行動できないと、あくまで有志として伊礼氏を支援することになった。


 だから、私の印象としては、伊礼氏は市民が擁立した候補であり、確かに共産、社民、社大3党擁立の候補であるとはいえ、「オール沖縄」の候補であるというのは違和感があったし、軍港反対を明言できないのであれば、デニー支援も有難迷惑とさえ感じていた。軍港容認の人間もいる「オール沖縄」となると、どうしても「軍港反対」が脇に置かれてしまう可能性、宮古島みたいに完全に封印されてしまう可能性もあったので、「軍港反対」を明言する「オール沖縄を超えた市民党」候補である方が、よりふさわしいと思っていたのである。


 ところがはじめはデニー知事の伊礼氏応援演説の予定はなかったのに、デニー氏の強い意向で実現したそうだ。浦添市民の前で「軍港問題」の「ぐ」の字も触れない演説では、不信感は増すばかりであろう。その点、女性市長として「先輩」であり、オール沖縄をあげての応援ということであれば、為書きも送り、応援してもよさそうな城間那覇市長が、そうした行動を取らなかったのは、賢明であり、筋が通っていたといえる。





あの海をつぶしたいと思う人はいない

 「浦添軍港問題」というのは、辺野古や自衛隊基地といった他の軍事基地建設問題と比較して、分かりやすくて、分かりにくい、少し特異な問題である。


 辺野古なら、あの自然豊かな大浦湾を埋め立てて軍事基地をつくるという暴挙に対して、「世界一危険な普天間飛行場返還のためなら仕方ない」という言い訳がいちおう成り立っている。もちろんそれは欺瞞にすぎないのであるが、本当に信じているか否かは別として、そう主張することができる。宮古島や石垣島の自衛隊基地については、海を埋め立てるというほど、自然破壊の面がはっきりと見えにくいのに加えて、「中国脅威に対処するためなら仕方がない」という言い訳が、とりあえず成り立っている。


 対する「浦添軍港問題」は、誰もが「つくる必要性を感じていない」し、「海を埋め立てることに反対」している。遊休化し、何に使っているかも分からない那覇軍港を返還してもらうために、代替施設が条件という47年前に決められた取り決めを再考、修正することなく、実行したいがためだけに、貴重な美ら海をつぶそうとしている理不尽さ。


 松本市長でさえ、「自分も本当は埋め立てたくはない」と言っている。ただでも使われていなくて、今後、在沖米軍海兵隊も削減され、辺野古の意義にも疑問がつけられている状況で、「なぜつくるのか?」「なぜ必要なのか?」がまったく明確ではなく、ただ「移設条件付きだから那覇軍港返還のためには仕方がない」と美ら海をつぶす理不尽さ。


翁長さんの残した負の遺産

 最初に断っておくが、私は故翁長雄志前県知事のことは尊敬し、高く評価している。自民党本流の政治家でありながら、保守、革新の垣根を超えて「オール沖縄」体制を築いて沖縄差別に立ち向かい、辺野古新基地建設反対を貫いたのは立派だ。しかし、那覇軍港の浦添移転問題となると、その姿勢には疑問符を付けざるをえない。


 私はこの問題については、現場にいたわけでもなく、間近に取材したわけでもなく、手に入る資料類からの分析にすぎないので、誤りもあるかもしれないが、過去2度の浦添市長選挙も含めた翁長氏の姿勢は、一言で言えば「那覇軍港返還のために、さっさと浦添に移設したいが、選挙のために反対のふりをして浦添市民の心をもてあそんだ」というにふさわしい、ひどい態度である。そして、その姿勢は、翁長氏の後継者であるデニー知事にも受け継がれている。


 松本市長が、ことあるごとに「翁長氏が悪い、デニー氏が悪い」と責任転嫁しているが、彼の言い分にも同情すべき点があるのは明白だ。もちろん、その当の松本氏も、もともとは軍港容認だったのが、8年前の選挙では、選挙のために反対を公約として当選し、その後撤回という豹変ぶりだから、軍港反対の浦添市民の心をもてあそんだという意味では、彼も同罪である。

 

「オール沖縄」に対する不信感と松本人気

 この8年間の浦添市民の政治動向を見てみると、衆議院議員選挙や県知事選挙といった、国政、県政レベルの選挙では、「オール沖縄」の候補者が、自民・公明の候補者に5,000票程度の差を付けて勝っている。 


 いっぽうで、市長選挙では2013年に松本市長が、どちらかというと反自民の「市民代表」として勝利して以後は、自民・公明の支援を受けて2017年、そして2021年の選挙で「オール沖縄」の候補者に勝利。票差も約3.000票、約8,500票、約10,000票と、差を広げてきた。


 つまり、浦添市民の政治動向としては、国政、県政では、「オール沖縄」支持者が多いが、市政となると話は別である。「オール沖縄」か「自公」かではなく、あくまで松本市長が支持されているとみられる。


 松本市長は、最初は「軍港反対」で当選させてもらいながら、その後、公約破りで「軍港容認」に転じた「裏切り者」であり、とんでもない奴だと思われているかというと、実はそうではなかった。


 松本氏自身は、自らの「公約破り」について、「故翁長氏の反対、賛成の豹変ぶりに振りまわされた挙句、なんとか浦添の負担を減らそうと努力したが叶わず、苦渋の選択として受け入れざるを得なかった」という「言い訳」をしている。私たち伊礼悠記を応援した人間も、この「言い訳」を口撃して選挙戦を戦ったわけであるが、松本氏のこの「言い訳」は、まったく「フェイク」と片付けられない「真実」を含んでいることは、認めなくてはならない。「翁長氏のブレに振り回されたこと」「せめて南側案と願いつつ、デニー知事や城間市長から話し合いを拒絶され進まなかったこと」は、事実であろうし、その苦労と努力は、浦添市民の多くも知るところであった。


 それゆえ、この8年間の軍港反対をめぐる紆余曲折の責任は、松本市長よりも、むしろ「オール沖縄」側にあると認識した浦添市民も多かったであろう。それゆえ、国政、県政においては辺野古新基地反対をはじめとする建白書実現をめざす「オール沖縄」にシンパシーを感じる市民が多数派であっても、軍港問題に関しては松本市長側にシンパシーを感じる市民が多数派であったといえるかもしれない。


 さらに松本市長の「軍港問題」以外の市政に関しては、おおむねよくやっており、失政はないことが、市民から評価されていることも影響している。市内どこへでも飛んでいき、市民の声をこまめに広いあげて市政に反映する姿勢は、その明るく、爽やかなイメージとともに好感度大であった。





デニー参戦の分かりづらさ

 「軍港反対」の市民が要望し、「軍港反対」の社民、社大、共産3党が擁立した「軍港反対」の候補者が立ったのであるから、「軍港反対」を願う浦添市民の受け皿になるはずであり、軍港問題に関してブレまくりの現職に対して大きなアドバンテージとなると期待された。


 しかし、「基地容認」と認識されているデニー知事が伊礼候補の応援に回ったことで、「軍港反対」の看板が、むしろぼかされ、曖昧になり、市民を疑心暗鬼に陥れる効果もあったのではないかと思う。実際、報道やS N S等でも、デニー知事と伊礼候補のズレ、矛盾を問う声は、相手候補陣営からのみならず、聞かれるようになり、それに対して、デニー知事も伊礼候補側も、市民に対して明確な答えをしたとは言いがたい。


 デニー知事は応援演説でも軍港問題には触れず、他の争点で同じ価値感を共有できるとして応援に入ったが、「軍港問題」を争点にしてほしくて「軍港反対」の候補を立てたのに、デニー知事がそれをつぶしてしまうという「逆効果」を生んだ。


 選挙戦後半で盛り上げて猛追したという「オール沖縄」側の自画自賛とは裏腹に、選挙戦序盤はむしろ勢いがあったが、デニー知事が応援に入ってからもり下がったという意見もS N Sで聞かれたほどだ。


 デニー知事の真意がどこにあったのか? 伊礼選対がデニー応援を受け入れた真意はどこにあったのか、部外者である私には分からない。もし、伊礼候補が勝っていたら、デニー知事は軍港問題をどうするつもりだったのか? はっきりと反対を表明してくれたのか?


 これまでの経緯から、軽率に「軍港反対」を表明できないまでも、応援演説で浦添市民を前に、「軍港問題は決着したわけではない。浦添市民の民意によっては、これを尊重する」くらいのことは言ってほしかった。デニー「信者」ならいざ知らず、一般の市民の多くは、伊礼陣営のこの「わかりずらさ」よりも、松本市長の「苦渋の選択」の方にシンパシーを感じたとしてもおかしくはない。


若年人口の多い浦添市

 浦添市は人口比率が若い街である。全国平均と比べて、20~40代の働き盛り、子育て世代が多く、60代以上の高齢者が少ない街である。沖縄の基地問題に対する意識として、一般に、戦争体験者やそれに近い高年齢者ほど軍事基地反対が多く、若年層に行くにしたがって、戦争の記憶が薄れ、米軍基地が当たり前に存在する環境で生まれ育ち、基地問題に寛容か無関心になっていく傾向がある。


 若年人口の多い浦添市民の多くは、他地域よりも、基地問題に対して強く反対の人よりも、無関心か、関心はあっても、それ以上に日々の暮らしや経済の方が優先という人が多かったことも推測される。だから「軍港問題」についても、1)知らない人 2)知っていても関心のない人 3)どちらかというと反対だけれど、それより経済が大事 という市民も多かったのだと思われる。琉球新報の出口調査によると、松本に投票した人の中で、「軍港問題」を重視した人の割合は11.8パーセント(伊礼氏に投票した人の52.9パーセント)に過ぎず、一番多かったのは「経済活性化」の22.5パーセントであった(伊礼氏は、わずか2.2パーセント)。


市長選挙は市政が大事

 これは浦添市に限らず、どこの地方選挙でも同じであるが、首長選挙における住民の最大の関心事は、やはり、その街の行政についてであって、国政とのかかわりは二の次であるという事実である。もちろん、地方政治と国政は完全に独立したものではなく、影響し合うものであるから、国政をまったく無視できるわけではない。とくに基地問題、軍港問題のような、国策として進められている事業が問題としてある場合はなおさらである。


 けれども、基本は、その街の経済、生活環境、福祉、医療といった地域の課題が、住民の最大の関心事であって、やたらと国政の問題。最近であれば「安倍政権が~、菅政権が~」と、その問題点を訴えても、それほど有権者に響かない。それどころか、あまり、これをやりすぎると、かえって反感を呼ぶ可能性さえある。私たちも、街宣では、ことあるごとに松本市長と菅政権の関係を訴えたが、これはやり方がまずかったのではと反省点である。


 ただ、こうした行政、市政の問題は、圧倒的に現職が有利であり、現職に目立った失政や問題がなければ、新人が対抗するのは難しい。浦添の松本市長には、目立った欠点がなかった。もちろん一部業者からは公平性の問題などの不満も出ていたらしいが、多くの市民にとって、松本市長は、先にも書いたように、市内どこへでも飛んでいき、市民の声をこまめに広いあげて市政に反映する姿が評価されており、一方で、目立った失政、醜聞等は見当たらなかった。中山石垣市長のような「夜遊び」イメージもない。その点、疑惑が山のようにあった宮古島の下地前市長とは、真逆であり、「敵」として戦いにくい相手、手強い相手ではあった。


楽観できないオール沖縄の今後

 1月17日の宮古島市長選挙の勝利を受けて、「オール沖縄」には、一気にイケイケムードができた。私自身も、士気を高めるために、あえて「宮古島に続け」のような表現を使ったこともあるが、宮古島と浦添とでは、状況、条件がまったく違っていたし、今後続く、うるま市長選挙、そして来年の県知事選挙も、それぞれ事情は違っていて、けっして楽観視できない。


 宮古島には、3期12年続いた下地市政の問題点があまりに多く、保革を超えて市政刷新を求める声が臨界点に達していた。「オール沖縄」として伸長して勝利したのではなく、もともと完全な保守で、真正自民党の座喜味氏と数合わせをすることで、勝ち取った勝利である。そのために陸自基地問題を「完全」封印するという犠牲を払っている。


まだまだ浸透しない軍港問題

 那覇軍港の浦添移設問題は、47年前にさかのぼる問題であるにもかかわらず、浦添市民に浸透しているとはいいがたい。4年に一度の選挙の時だけ、取り上げられ、注目を浴びるが、選挙が終わると触れられなくなり、移設に関する協議は、まるで「秘密会議」のような「那覇港湾組合議会」で話し合われるだけで、その情報も大きく取り上げられないため、記憶の脇に置かれ、多くの浦添市民が「そんな問題あったんだ」と思うようになっている。その点において、「軍港問題」をもう片付いたことで済まそうとする松本氏に対して、伊礼氏が「軍港反対」を真正面にかかげて選挙を戦ったことは、大いに意義のあることであった。


選挙の時だけではなく 継続した啓蒙宣伝活動が重要

 選挙結果を受けて、県紙はさっそく「浦添容認に審判」と書き、デニー知事も「容認の民意が出た」と述べて進める考えを示した。浦添西海岸を守りたい市民にとって、危機的な状況であることに間違いはないが、まだまだ、希望はある。


 西海岸の美ら海を埋め立てて軍港をつくることの、無意味さ、有害性は多くの人が認めている。「軍港なんていらない」という「当然の願い」を訴える声を、もっと多くの市民、県民にあげてもらうことが必要である。そのためにも、選挙の時だけ騒ぐのではなく、継続した啓蒙宣伝活動が重要で、市民から、浦添市、沖縄県、国に対して、声を上げ続けることが求められるであろう。





最後に今回の敗因をまとめると、以下のようになる。

1)松本氏の手堅い市政が評価されて人気があり、これといって欠点がなかった

2)1)と関連して、国政(菅政権)不人気の松本陣営に対する逆風は吹かなかった

3)軍港問題を争点と思う有権者は多かったが、伊礼氏が反対票すべてを拾うことはできなかった

4)3)と関連して、軍港問題について、態度が明確ではない「オール沖縄」に不信感を持つ有権者も多かった

5)軍港問題について、まだまだ有権者に浸透せず、新型コロナ対策、経済政策など他の問題が優先された

6)新型コロナ対策などについては伊礼陣営も積極的に政策を訴えたが、「経済なら国や財界とパイプが太い自民」の前には勝てなかった(琉球新報出口調査:経済活性化=松本22.5パーセント、伊礼2.2パーセント、新型コロナ対策=松本19.3パーセント、伊礼10.3パーセント)




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